今や芸能界で大成功を収めた松本人志さん。
実は、幼少期はとんでもない貧乏だったんです。
松本人志さんの、壮絶な家庭環境による、貧乏エピソードを紹介します。
松本人志の貧乏エピソード10選!幼少期の家庭環境が壮絶だった!
おめでとうー
と鳴いております。 pic.twitter.com/tmyeAlQdzn— 松本人志 (@matsu_bouzu) January 1, 2020
松本人志さんは両親、兄、姉との5人家族です。
幼少期の家庭環境はかなり貧乏で、仰天の壮絶エピソードが多数ありました。
松本人志さんの貧乏エピソード10選を紹介します。
貧乏エピソード①松本人志にかかった費用は50万円?
この時期になると思い出す。。。
市民プール。100円がもったいないってフェンスの向こうで日傘さしながらオレと兄貴をずっと見てたオカン。。。あの人は凄え。
— 松本人志 (@matsu_bouzu) 2013年7月24日
かなりの貧乏な家庭で育った松本人志さん。
小学校に上がっても、
- 勉強机は父親が拾ってきた
- ランドセルは合皮
- 筆箱のキャラクターはマッハゴーゴーのバッタモン
- 服は穴だらけ
- お弁当はご飯と鮭だけ
と、なかなかの貧乏さがコンプレックスでした。
ラジオでも、自分が育てられるのにかかった金額は50~60万円と発言するほどだったので、よっぽどのレベルなのが分かりますね^^;
松本人志さんは、性格も暗く気弱だったため、イジメに遭っていたんだとか。
しかし、父親に連れて行ってもらった演芸場でお笑いに目覚め、小学校でギャグが大ウケしたことでいじめられっ子から脱却しています。
貧乏やイジメに遭っていた事から、あまり小学校時代には良い思い出はないようです。。
貧乏エピソード②お風呂は浜ちゃんと一緒に近所の銭湯へ
うちのゴリラです。 pic.twitter.com/xP6Eb3IXti
— 松本人志 (@matsu_bouzu) 2013年5月4日
松本人志さんの実家は、兵庫県尼崎市にありました。
尼崎は他の地域より貧しい家庭が多いのですが、松本人志さんの家はその中でもかなりの貧乏レベルでした。
もちろん家にお風呂は無いため、近所の銭湯に通っていました。
入浴も毎日ではなく、数日に1回だった可能性がありますね。
松本人志さんは「昭和銭湯」という銭湯に、浜田雅功さんとよく一緒に通っていたんだとか。
2人は休憩所にあるピンボールで遊んだり、浜田雅功さんは女湯を覗いたり・・・(笑)
意外と楽しい思い出のある場所なのかもしれませんね^^
貧乏エピソード③少年野球は在籍1日
松本人志さんは、小学生の時に地元の少年野球チームに入ったことがありました。
しかし松本人志さんは左利き。
松本家の経済状況では、左利き専用のグローブを購入する余裕はなく、1日で少年野球チームを退団することになりました。
もし松本人志さんが右利きだったら、おさがりのグローブをもらえてたかもしれないので、野球を続けることができたかもしれませんね。
このような事が多かった松本人志さんは、妄想力を働かせて遊ぶのが上手くなったそうです。
貧乏エピソード④エア自転車で疾走?
少年時代、自転車を買ってもらえなかった松本人志さん。
友達が自転車で遊んでいる時は、ハンドルを握るポーズをした”エア自転車”で皆について行ったそう。
自転車を漕ぐ友人の後ろを、ハンドルを握ったポーズで走って追いかける光景・・・切ないです。
弁組でこのエピソードを披露した時には、最後に”鍵を閉め忘れて盗まれた”というオチをつけて笑いにしていました。
このオチがないと、単に切ない話で終わってしまうので、さすが松本人志さんですね^^;
貧乏エピソード⑤エサ代に困り愛犬を・・・
松本家は、幼少期に犬を飼っていました。
ペルという名前で可愛がっていたのですが、ある日父親がペルをどこかに捨ててきてしまいました。
犬1匹を飼う余裕もないくらい、松本家の経済状況は切迫していたんですね。
老衰や事故、病気で死んでお別れならまだしも、捨てられたのは子供心にショックは大きかった事でしょう。。
貧乏エピソード⑥飼い猫が咥えてきた魚がディナー
松本家には、チョウスケという飼い猫もいました。
ある日、松本家の向かいの寿司屋から、トロを咥えて帰ってきたチョウスケ。
父親がチョウスケの頭を叩いて吐かせ、そのトロを家族全員で食べたそうです。
サザエさんの歌の逆バージョンですね(笑)
チョウスケ、良くやった!というところでしょうかw
貧乏エピソード⑦焼肉といえばウインナー
松本人志さんの家では、”焼肉”というと、焼いたウインナーを指していました。
牛肉でもなく豚肉でもなくウインナー・・・確かに焼肉屋のメニューにもウインナーありますけどね^^;
また松本人志さんの母親は、天ぷらとして、
- 普通のちくわの天ぷら
- 青のりのちくわの天ぷら
- カレー粉をまぶしたちくわの天ぷら
と、ちくわの天ぷらフルコースなども作ってくれたんだとか。
母親は貧乏ながら買えるものの中で、精一杯楽しませてくれていたんですね^^
貧乏エピソード⑧寿司屋ではタコしか食べない
松本人志さんは、滅多に行けなかったものの、寿司屋に行った事がありました。
寿司屋では、タコばかり頼んでいたという松本人志さん。
タコが一番安いと思い、親に気を遣ってタコしか頼まなかったんだとか。
浜田雅功さんが歌った「チキンライス」の作詞をした松本人志さんですが、この歌詞でも気を遣ってチキンライスしか頼まなかったという部分がありましたね。
子供の頃から、自分の家は貧乏だと自覚していた松本人志さんは、おねだりなどは全然しなかったそうです^^;
欲しいという気持ちよりも、家の経済状況を見て行動する癖がついていたんですね。
貧乏エピソード⑨何度も捨てられそうに・・・
親父が死んだ。。。
オレは悲しまない。
あの人とはいろいろあったからな。
葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った太陽の塔を見に行った。あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがにいろんな感情が押し寄せて来やがった。。。
親父。さいなら。— 松本人志 (@matsu_bouzu) 2014年8月31日
父親は、家族団らんの時でも「兄が可愛い」と発言するなど、普段から兄を可愛がっていました。
ある日、松本人志さんが父親と2人で外出した際、「人志、涼もう」と連れ出されました。
しかし父親は、松本人志さんからどんどん距離を取って、離れていこうとしたんだそう。
その姿を見て、「俺、捨てられるんや・・・」とショックを受けながらも、必死ではぐれないようについていったんだとか。
これは強烈なトラウマとして松本人志さんの中に残っているとコメントしています。
想像すると涙が出そうですね・・・
しかし大人になって兄にこの話をしたところ、兄も同じ目に遭っていたと発覚。
父親のジョークだったのか、本気だったのか・・・
貧乏エピソード⑩冷蔵庫の中身は2つ?
松本家の冷蔵庫には、いつもネギとマーガリンしか入っていなかったんだとか。
ネギとマーガリンしか入れるものがないなら、逆に電気代の方がかかりそうですよね^^;
ちなみに家にはレンジは無かったため、松本人志さんはレンジを使った事がありませんでした。
松本人志さんが初めてレンジを使ったのは、お姉さんが離婚して慰謝料としてレンジを持って帰ってきた時だったそうです。
貧乏な人ほどお笑い向き?
松本人志さんは、貧乏な人はお笑い向きとコメントしています。
それは、貧乏で育った人は、物がない分想像力を働かせて遊んできたからだそう。
松本人志さんも、かなり貧乏な家庭環境で育ったからこそ、デビュー以降ずっと第一線で活躍しているのかもしれませんね。