コメディからシリアスな役までこなす演技派俳優の大東駿介さん。
明るい性格に端正な顔立ちの大東駿介さんですが、実は壮絶な生い立ちを過ごしていたんだとか。
中学生から一人暮らしをしていた極貧生活とは、どのようなものだったのでしょうか?
大東駿介が8歳の時に両親が離婚!
この投稿をInstagramで見る
大東駿介さんは、タクシードライバーをしていた父親と、クリーニング店を営む母親の元に生まれた一人っ子でした。
しかし父親は仕事で忙しく、普段なかなか会えない生活だったんだとか。
唯一大東駿介さんの誕生日には、父親の職場であるタクシーの中で会えたそうです。
父親とは会える頻度も少なくなっていき、遂には全く会えないようになってしまいました。
大東駿介さんが8歳の頃、母親が友人に「離婚した」と話しているのを聞いて、父親がいなくなった事を悟ったんだそう。
20代後半の時に父親の消息が分かったのですが、意地を張って会わなかった大東駿介さん。
しかし、30歳手前で「やっぱり会ってみよう」と思った時には、父親は他界していました。
父親は昔俳優をしていたそうなので、大東駿介さんは知らず知らずのうちに父親が歩んだ道を目指していたようですね。
大東駿介が中学生の時に母親が蒸発して1人暮らしに!
この投稿をInstagramで見る
両親の離婚後は、女手一つで育ててくれていた母親ですが、大東駿介さんが中学生の時に蒸発してしまいました。
家でクリーニング店を営んでいたのですが、外出などで母親が不在の時は、店のシャッターが半分閉まっている状態だったんだそう。
その時は、玄関に置いてあるお金でご飯を買っていたという大東駿介さん。
しかし、母親が不在の日が2日、3日、6日と増えていき、大東駿介さんが中学生の時にはとうとう帰らなくなってしまいました。
一人っ子のため頼る人もおらず、飼っていたウサギとの生活が始まった大東駿介さんは、ウサギのフンが散らばったままの状態で寝ていたそうです・・・
大東駿介は極限状態で鏡に向かって叫んでいた!
この投稿をInstagramで見る
大東駿介さんにお金がなかったため、家の小銭をかき集め、駄菓子を買って飢えをしのいでいました。
豆が入っている”どんどん焼き”が、駄菓子の中でも栄養が取れるだろうと考えていたという大東駿介さん。
どんどん焼きの当たりくじを食べてしまう
#昭和生まれっぽい発言をしろ pic.twitter.com/AuD0ooTtKV— 朧げな馬カンス (@foxjetcity) May 27, 2020
10円の”どんどん焼き”を1円玉10枚で買うのが惨めで、1つの店では1個しか買わず、自転車で近所のお店をハシゴしていたそうです。
中学生で思春期の時ですから、周りから”可哀想な子”と思われたくなかったんですね。
小学生の時は活発だった大東駿介さんですが、中学生からは人見知りになり、家のライフラインが止まった事から引きこもり状態になってしまいました。
家では鏡に向かって「殺すぞ!」と叫んでいたこともあったというので、かなり精神的に追い詰められていたことが分かりますね。
大東駿介を救ってくれた人たち
この投稿をInstagramで見る
かなり壮絶な幼少期を送ってきた大東駿介さんですが、そんな中でも救ってくれた恩人たちがいます。
中学の先生
中学校で昼食を用意できない大東駿介さんのために、担任の先生が菓子パンをこっそり渡してくれていました。
激ヤセなのでパスタ茹で前400g+ミートソース×2食べたあとにチョコチップスナックパン食べてる pic.twitter.com/1UIggGHKLB
— あ (@Random964) October 14, 2018
当時よくもらっていた”チョコチップスナックパン”とジャムマーガリンのコッペパンは好物で、今でもよく食べているそうです。
親友5人
中学生の時に仲の良かった親友5人には、かなり支えてもらった大東駿介さん。
家に引きこもっていた時に、家のドアを破り突入してきたそうです(笑)
1人でいる大東駿介さんの家は、親友たちのたまり場となり、一緒に映画を観たり、バンドを組んだりして思春期を過ごすようになりました。
お笑い芸人の金属バット・小林さんは、そんな親友の1人です。
金属バット小林さん、入られましたー pic.twitter.com/NGRBtIvfcn
— 【奈良】イケイケ雑貨屋スケロク【奈良】 (@Skelok) April 14, 2019
たまに友人の家に遊びに行った時は、晩御飯をごちそうになっていたという大東駿介さん。
お寿司、焼きそば、カレーライスなど料理が沢山並んでいた食卓を見て「普通の家庭の食事はこんな感じなんだ」と思っていたそうですが、友人の家族が大東駿介さんのために用意してくれたようですね。
大東駿介さんは友人に恵まれていたため、立ち直れたと言っても過言ではないでしょう。
叔母家族
中学生の時、大東駿介さんは叔母家族に引き取られ、家族同然に育ててもらいました。
そのおかげで高校にも進学し、俳優を目指して上京後は”兄貴”と慕う従兄と、同居生活も送っていました。
親戚に引き取られると、邪見に扱われるパターンが多いですが、大東駿介さんは優しい家庭に引き取られて良かったです^^
バイト先のオーストラリア人店長
芸能界を目指して、大東駿介さんは高校卒業後に上京しています。
高校時代は、人見知りが対人恐怖症レベルになっており、人前だと冷や汗が止まらなかったんだそう。
しかしそんな対人恐怖症を克服すべく、一番苦手な環境で働く事を決意し、原宿にある女性に人気のカフェでアルバイトを始めました。
そのカフェのオーストラリア人店長が「人と話すときは、相手の話に興味を持って聞きなさい」とアドバイスをもらった大東駿介さん。
そこから人への好奇心が増え、対人恐怖症を克服することが出来ました。
上京から1年後には、オーディションに合格して芸能界デビューしているので、オーストラリア人店長は恩人の1人のようですね^^
大東駿介の生い立ちは壮絶すぎた!
大東駿介さんの生い立ちは、ドラマか映画のように壮絶な極貧生活でした。。
この生い立ちが大東駿介さんが”家庭を持つことが怖い”と考える根本にあるんですね。
しかし、現在は3人の子供と嫁と一緒に暮らしているそうなので、大東駿介さんには幸せになって欲しいですね。