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佐々木朗希が母子家庭になった理由が壮絶だった!父や兄弟はどんな人?

2019年10月17日のドラフト会議で、ロッテが交渉権を獲得した佐々木朗希選手。


佐々木朗希選手は、プロスカウトマン大注目の選手で、野球関係者によるとメジャーリーガーの”大谷2世”と呼ばれる逸材です。

そんな佐々木朗希選手ですが、実は母子家庭で育っていたそう。

佐々木朗希選手が母子家庭になってしまった悲しい理由と、190cmにまで育った驚きの教育方針について調べてみました。

佐々木朗希プロフィール

佐々木朗希 プロフィール
プロフィール
  • 名前:佐々木朗希(ささき ろうき)
  • 生年月日:2001年11月3日
  • 出身:岩手県陸前高田市
  • 身長:190cm
  • 体重:86kg
  • ポジション:投手 / 右投げ右打ち

兄・琉希さんの影響で小学3年から野球を始めた佐々木朗希選手。

中学ではKWBボール(軟式球と同じゴムだが、大きさ・重量が硬式球と同じもの)の大会で、選抜メンバーのエースとして東北大会で準優勝しています。

大船渡高校に進学した佐々木朗希選手は、

  • 1年で147km
  • 2年夏で150km超
  • 2年秋には154km

を記録。

侍ジャパンU18の代表候補にも選ばれ、合宿時には163kmをマークした超高校生級のピッチャーです。

更に佐々木朗希選手は、50mを5秒9で走る超俊足の持ち主で、野球関係者の間では”大谷翔平2世”と呼ばれているようです。




佐々木朗希が母子家庭になった壮絶な理由とは?

佐々木朗希 母子家庭

高校生離れしたピッチングと体格で大注目の佐々木朗希選手。

しかし、これまで母子家庭で育ってきた苦労人だったそうです。

佐々木朗希選手が母子家庭になった理由は、何だったのでしょうか?

佐々木朗希は父親を亡くしていた


(▲手前から 兄・琉希さん、朗希選手、弟・伶希さん、母・陽子さん)

佐々木朗希選手は9歳の頃まで岩手県の陸前高田市に、祖父母・両親・3兄弟の7人で住んでいました。

2011年3月11日に東日本大震災が発生し、津波が佐々木朗希選手の家を襲いました

母親の陽子さんは仕事で隣町の大船渡にいましたが、道路が冠水してしまい、自宅がある陸前高田市には戻れない状態だったようです。

翌朝避難施設で、母親と3兄弟は再会しています。

しかし父親と祖父母は揃わず、親族の家で胸が張り裂けそうになりながら、5日間連絡を待っていると、ようやく1本の電話が・・・

佐々木朗希選手の父親・功太さんは、37歳の若さで亡くなってしまいました

祖母も津波で流されて亡くなり、祖父は未だに行方不明のままだそうです。

自宅を津波で流された佐々木さん一家は、その後も仮設住宅の抽選にもなかなか当たらなかったりと、心身共に厳しい日々を過ごしてきたそうです。

女手一つで懸命に働き、3兄弟を立派に育てあげた母・陽子さん。

佐々木朗希選手は「野球で恩返ししたい」という強い気持ちがあったからこそ、明確な目標に向かって努力を続け、”大谷二世”と呼ばれるまでの逸材に成長できたのかもしれませんね。




佐々木朗希の父母や兄弟はどんな人?

プロ野球でも大活躍してくれそうな佐々木朗希選手の家族は、どんな人達なのでしょうか?

両親や兄弟について調べてみました。

兄が父親代わりになってくれた

佐々木朗希 母子家庭兄・琉希さん

父親亡き後は、佐々木朗希選手より3歳年上の長男の琉希さんが、父親代わりに弟2人の面倒を見てくれたそう。

兄・琉希さんは大船渡高校野球部のOBで、4番を付けていた実力の持ち主。

特に次男の佐々木朗希選手に対しては、決して褒める事はなく、野球面・生活面共に厳しく接していたんだとか。

お前レベルの選手はたくさんいる」と、兄・琉希さんに突き放し続けられた反動で、佐々木朗希選手は常に兄を超えようと努力したそうです。

弟も野球をしている!

佐々木朗希 母子家庭弟・伶希さん

佐々木朗希選手の弟・伶希さんも、野球をしているようです。

平成30年時点では、岩手県の「猪川野球クラブ」で内野手として活躍しており、全国大会にも出場する強豪チームなんだとか。

全国大会では、弟・伶希さんがサヨナラを打ったそうです。

伶希さんの今後の成長も注目したいですね!




父親はアクティブで気遣いの人!

佐々木朗希 母子家庭

いつもにこにこと朗らかな明るい性格で、自分よりも周囲の人への気配りを絶やさない気遣いの人だった父・功太さん。

ジェットスキーやスノーボードなどウィンタースポーツが好きな、アクティブな方だったそうです。

父・功太さんは葬儀屋さんをしていて、勤務時間が不規則な中休みの日には子どもたちと遊び、優しくもあり厳格な父親だったんだとか。

生前に父・功太さんは、長男に対して厳しく躾をして育てていたそう。

そんな父親の背中をみてきた兄・琉希さんも、佐々木朗希選手に同じく厳しい躾をしたのかもしれませんね。

そのお陰もあってか、佐々木朗希選手は高校1年の頃から才能を発揮し、3年生の頃にはスカウト陣も惚れ込む怪物選手となったそうです。

母の驚きの教育方針とは?

佐々木朗希 母子家庭

母・陽子さんは「スポーツでも何をするにも有利になるかと思って」との思いから、子どもたちを午後9時には就寝させていたそう。

その結果、母親の想像以上に成長ホルモンを活性化させ、長男・琉希さんは181cm、佐々木朗希さんは190cmになったんだとか。

更に、1日6合の白米効果で、71kgだった佐々木朗希選手の体重は、15kg増の86kgになっています。






佐々木朗希にはメジャーリーグも注目していた!

佐々木朗希 母子家庭

佐々木朗希選手率いる大船渡高校は、高校3年の甲子園では惜しくも予選敗退してしまいましたが、予選会場にいたプロのスカウトマンには、存在感を見せつけていたようです。

なんと、そのスカウトの中には、メジャーリーグの関係者もいたんだとか!

フィラデルフィア・フィリーズの大慈弥功環太平洋担当部長は、佐々木朗希選手の163キロの投球を見て、

今すぐにでもメジャーに行ってほしい。将来はサイ・ヤング賞が獲れるだけの投手。同世代では世界NO.1だ。

とコメントしています。

サイ・ヤング賞とは?

メジャーリーグベースボールの賞のひとつ。

ナショナルリーグとアメリカンリーグのそれぞれから、その年に最も活躍した投手1人ずつが選出される。

2019年10月時点で、サイ・ヤング賞を受賞した日本人はいない。

Wikipediaより

20年以上にわたって、世界中の選手を見てきた大慈弥功氏に「あんな投手はいない」と絶賛された佐々木朗希選手。

野茂英雄選手、田中将大選手、ダルビッシュ有選手でも獲得していない、サイ・ヤング賞を獲れるだけの逸材といわれるなんてスゴいですよね!

佐々木朗希選手も、将来はメジャーリーグに挑戦して欲しいです^^




佐々木朗希が母子家庭になった理由まとめ

佐々木朗希 母子家庭

毎朝父たちの写真に「行ってきます」と声をかけ、元気に学校へ向かっていた佐々木朗希選手。

母子家庭で育ててくれた母親や天国の父親に、これからもプロ野球で力強いピッチングを見せて欲しいですね。