2019年10月17日のドラフト会議で、ロッテが交渉権を獲得した佐々木朗希選手。
【選択終了 ロッテ #ドラフト 一覧】#NPB #ドラフト会議
1位 佐々木朗希(大船渡)
2位 佐藤都志也(東洋大)
3位 高部瑛斗(国士舘大)
4位 横山陸人(専大松戸)
5位 福田光輝(法大)
詳細は→https://t.co/HgTEnKkzcX pic.twitter.com/wgKBIxT4FP— 日刊スポーツ (@nikkansports) October 17, 2019
佐々木朗希選手は、プロスカウトマン大注目の選手で、野球関係者によるとメジャーリーガーの”大谷2世”と呼ばれる逸材です。
そんな佐々木朗希選手ですが、実は母子家庭で育っていたそう。
佐々木朗希選手が母子家庭になってしまった悲しい理由と、190cmにまで育った驚きの教育方針について調べてみました。
佐々木朗希プロフィール
- 名前:佐々木朗希(ささき ろうき)
- 生年月日:2001年11月3日
- 出身:岩手県陸前高田市
- 身長:190cm
- 体重:86kg
- ポジション:投手 / 右投げ右打ち
兄・琉希さんの影響で小学3年から野球を始めた佐々木朗希選手。
中学ではKWBボール(軟式球と同じゴムだが、大きさ・重量が硬式球と同じもの)の大会で、選抜メンバーのエースとして東北大会で準優勝しています。
大船渡高校に進学した佐々木朗希選手は、
- 1年で147km
- 2年夏で150km超
- 2年秋には154km
を記録。
侍ジャパンU18の代表候補にも選ばれ、合宿時には163kmをマークした超高校生級のピッチャーです。
更に佐々木朗希選手は、50mを5秒9で走る超俊足の持ち主で、野球関係者の間では”大谷翔平2世”と呼ばれているようです。
佐々木朗希が母子家庭になった壮絶な理由とは?
高校生離れしたピッチングと体格で大注目の佐々木朗希選手。
しかし、これまで母子家庭で育ってきた苦労人だったそうです。
佐々木朗希選手が母子家庭になった理由は、何だったのでしょうか?
佐々木朗希は父親を亡くしていた
佐々木朗希一家。お母さん大変やったろうなあ。 pic.twitter.com/hKzTRkd2nu
— 野球を愛する人間 (@takumisan3taku3) August 31, 2019
(▲手前から 兄・琉希さん、朗希選手、弟・伶希さん、母・陽子さん)
佐々木朗希選手は9歳の頃まで岩手県の陸前高田市に、祖父母・両親・3兄弟の7人で住んでいました。
2011年3月11日に東日本大震災が発生し、津波が佐々木朗希選手の家を襲いました。
母親の陽子さんは仕事で隣町の大船渡にいましたが、道路が冠水してしまい、自宅がある陸前高田市には戻れない状態だったようです。
翌朝避難施設で、母親と3兄弟は再会しています。
しかし父親と祖父母は揃わず、親族の家で胸が張り裂けそうになりながら、5日間連絡を待っていると、ようやく1本の電話が・・・
佐々木朗希選手の父親・功太さんは、37歳の若さで亡くなってしまいました。
祖母も津波で流されて亡くなり、祖父は未だに行方不明のままだそうです。
自宅を津波で流された佐々木さん一家は、その後も仮設住宅の抽選にもなかなか当たらなかったりと、心身共に厳しい日々を過ごしてきたそうです。
女手一つで懸命に働き、3兄弟を立派に育てあげた母・陽子さん。
佐々木朗希選手は「野球で恩返ししたい」という強い気持ちがあったからこそ、明確な目標に向かって努力を続け、”大谷二世”と呼ばれるまでの逸材に成長できたのかもしれませんね。
佐々木朗希の父母や兄弟はどんな人?
プロ野球でも大活躍してくれそうな佐々木朗希選手の家族は、どんな人達なのでしょうか?
両親や兄弟について調べてみました。
兄が父親代わりになってくれた
父親亡き後は、佐々木朗希選手より3歳年上の長男の琉希さんが、父親代わりに弟2人の面倒を見てくれたそう。
兄・琉希さんは大船渡高校野球部のOBで、4番を付けていた実力の持ち主。
特に次男の佐々木朗希選手に対しては、決して褒める事はなく、野球面・生活面共に厳しく接していたんだとか。
「お前レベルの選手はたくさんいる」と、兄・琉希さんに突き放し続けられた反動で、佐々木朗希選手は常に兄を超えようと努力したそうです。
弟も野球をしている!
佐々木朗希選手の弟・伶希さんも、野球をしているようです。
平成30年時点では、岩手県の「猪川野球クラブ」で内野手として活躍しており、全国大会にも出場する強豪チームなんだとか。
全国大会では、弟・伶希さんがサヨナラを打ったそうです。
伶希さんの今後の成長も注目したいですね!
父親はアクティブで気遣いの人!
いつもにこにこと朗らかな明るい性格で、自分よりも周囲の人への気配りを絶やさない気遣いの人だった父・功太さん。
ジェットスキーやスノーボードなどウィンタースポーツが好きな、アクティブな方だったそうです。
父・功太さんは葬儀屋さんをしていて、勤務時間が不規則な中休みの日には子どもたちと遊び、優しくもあり厳格な父親だったんだとか。
生前に父・功太さんは、長男に対して厳しく躾をして育てていたそう。
そんな父親の背中をみてきた兄・琉希さんも、佐々木朗希選手に同じく厳しい躾をしたのかもしれませんね。
そのお陰もあってか、佐々木朗希選手は高校1年の頃から才能を発揮し、3年生の頃にはスカウト陣も惚れ込む怪物選手となったそうです。
母の驚きの教育方針とは?
母・陽子さんは「スポーツでも何をするにも有利になるかと思って」との思いから、子どもたちを午後9時には就寝させていたそう。
その結果、母親の想像以上に成長ホルモンを活性化させ、長男・琉希さんは181cm、佐々木朗希さんは190cmになったんだとか。
更に、1日6合の白米効果で、71kgだった佐々木朗希選手の体重は、15kg増の86kgになっています。
佐々木朗希にはメジャーリーグも注目していた!
佐々木朗希選手率いる大船渡高校は、高校3年の甲子園では惜しくも予選敗退してしまいましたが、予選会場にいたプロのスカウトマンには、存在感を見せつけていたようです。
なんと、そのスカウトの中には、メジャーリーグの関係者もいたんだとか!
フィラデルフィア・フィリーズの大慈弥功環太平洋担当部長は、佐々木朗希選手の163キロの投球を見て、
今すぐにでもメジャーに行ってほしい。将来はサイ・ヤング賞が獲れるだけの投手。同世代では世界NO.1だ。
とコメントしています。
メジャーリーグベースボールの賞のひとつ。
ナショナルリーグとアメリカンリーグのそれぞれから、その年に最も活躍した投手1人ずつが選出される。
2019年10月時点で、サイ・ヤング賞を受賞した日本人はいない。
Wikipediaより
20年以上にわたって、世界中の選手を見てきた大慈弥功氏に「あんな投手はいない」と絶賛された佐々木朗希選手。
野茂英雄選手、田中将大選手、ダルビッシュ有選手でも獲得していない、サイ・ヤング賞を獲れるだけの逸材といわれるなんてスゴいですよね!
佐々木朗希選手も、将来はメジャーリーグに挑戦して欲しいです^^
佐々木朗希が母子家庭になった理由まとめ
毎朝父たちの写真に「行ってきます」と声をかけ、元気に学校へ向かっていた佐々木朗希選手。
母子家庭で育ててくれた母親や天国の父親に、これからもプロ野球で力強いピッチングを見せて欲しいですね。