2020年9月14日に新総理に就任した菅義偉氏。
秋田県の農家の息子から一国の首相になった菅義偉氏は、実はすごい苦労人だったんだそう。
- 菅義偉ってどんな人?
- 菅義偉の生い立ちは夜間大学卒の苦労人だった!
という点に注目をして調査しました。
菅義偉ってどんな人?
まずは、菅義偉氏のプロフィールをご紹介します。
名前:菅義偉(すが よしひで)
生年月日:1948年12月6日
出身地:秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市)
所属:自由民主党
現職:内閣総理大臣
選挙区:神奈川2区
当選回数:8回
菅義偉氏は法政大学法学部卒業後、建電設備株式会社へ入社しましたが、政治家を志し退社。
その後、
- 衆議院議員秘書
- 通産大臣秘書官
- 横浜市会議員
を経て、1996年の衆議院議員選挙で初当選を果たします。
議員となってからは、自民党の若手改革派のリーダーとして、自民党内部の古い体質を改善しようと自民党改革を叫びます。
そして
- 2002年 国土交通政務官
- 2003年 経済産業大臣政務官
- 2006年 総務大臣
- 2012年 自民党幹事長代行、内閣官房長官
- 2014年 内閣官房長官
- 2020年 内閣総理大臣
に就任するなど、輝かしい経歴の持ち主です。
そんな菅義偉氏、実は中高生からも人気なんです!
令和おじさんで知名度を上げた!?
菅義偉氏といえば、この姿が思い浮かぶ方も多いのではないでしょうか?
こちらは新元号「令和」発表の際の菅義偉氏の姿です。
この時から菅義偉氏は中高生を中心に「令和のおじさん」と呼ばれています。
SNSにはこんな書き込みも…!
https://twitter.com/hiiro_shotajel_/status/1301525467611033600?s=21
次の総理大臣なんかかわいいし
菅官房長官推してる— cilk (@imfrte) August 31, 2020
この他にもSNSには菅義偉氏に対して「かわいい」の声が非常に多くありました。
若い女性にとって、菅義偉氏はマスコットキャラクターのような印象なのでしょうか?
さらに、新元号の発表以降、国会では今までにない変化が起こっているようです。
国会内で見学中の中高生らが、菅義偉官房長官を見かけると歓声を挙げる――こんな例を挙げながら記者から人気上昇の自覚を聞かれた菅長官は、「知名度は上がってきたのかな、とは思います」と答えた。
引用:JCASTニュース
まるでアイドルのようですね。
この変化について、菅義偉氏はインタビューで次のように話しています。
知名度が異常なぐらい上がってビックリしています。何か恥ずかしくてしょうがない。正直「おじさん」と呼ばれるのはピンとこないですね(笑)。
引用:文春オンライン
さまざまな経験を積んできた菅義偉氏にとっても、予想外の展開のようですね。
大好物はパンケーキ?
毎日淡々と定例会見をする姿からは、想像ができませんが、菅義偉さんの大好物はパンケーキだそうです!
特にお気に入りなのは、東京・赤坂見附にあるホテルニューオータニのレストラン「SATSUKI」のパンケーキだそうです!
3000円のパンケーキということで、れいわ新撰組の議員が
おやつに毎度3000円・・・。かの政府の閣僚たちの一人の経済感覚のほどが知れる。
とSNSに投稿したことでも話題にもなりました。
パンケーキを食べる菅義偉氏の姿がこちらです!
いつもの厳しい表情は何処へやら。
まるで別人のような笑顔ですね!
ちなみに、菅義偉氏はアルコールは全く飲みません。
菅義偉氏の以前の名刺の裏には「アルコール:全然ダメ」と書かれていたほど下戸のようです。
こちらも少し意外な気がしますね。
菅義偉の生い立ちは夜間大学卒の苦労人だった!
私は世襲政治家を批判して出てきた人間だから、それだけはやっちゃいけない。「もし政治家になるんだったら、他の県に行って出ろ」と、昔から明快に言ってます。だから誰も言い出さない。3人とも民間の企業で働いています。
引用:文春オンライン
これは、3人の息子の政界入りについて聞かれた際の菅義偉氏の言葉です。
はっきりと「世襲はさせない」と明言していますね。
菅義偉氏が、自分の息子たちに対し、このような厳しいことを言うのも、菅義偉氏が叩き上げの苦労人であるからだと考えます。
現在、安倍内閣の閣僚の半分ほどが世襲議員と言われています。
しかし、菅義偉氏は政治の基盤を持たないまま横浜市長選に立候補し、そこから内閣官房長官の座まで登り詰めました。
そして、菅義偉氏が苦労人と言われるのは、政界入りに限ったことではありません。
アルバイトで大学の入学金を貯める
農家の長男として生まれた菅義偉氏。
家業の手伝いをしながら高校を卒業し、その後、集団就職を機に上京をします。
菅義偉氏は、その時の気持ちを次のように語ります。
「東京に出さえすれば、将来の展望が開けると考えていました。自分にとって東京は希望そのものだったし、地方の若者は皆同じように考えていたと思う」
引用:Y!ニュース
上京後は板橋区の段ボール工場で住み込みで働き始めましたが、その生活は思い描いていたものとは違ったようです。
「ここで一生を終わるのかと思うと暗澹とした気持ちになった。現在のフリーター・派遣労働者問題にも通じると思うんですが、将来設計が立てられないところにいると、意欲を失ってしまうでしょう。あのころはあまり思い出したくない青春時代という感じ。とにかくこのままここにいるのだけはいやだと強く思った」
引用:Y!ニュース
「大学に入って人生を変えよう」と段ボール工場を数ヶ月で退職します。
その後、2年間は入学金を貯めるため、アルバイトと受験勉強の日々でした。
築地市場の台車運びなどのアルバイトをしていたようです。
その後、当時学費が一番安かったという法政大学を受験し、無事合格となりました。
大学入学後もアルバイト生活
無事に、法政大学への入学が決まった菅義偉氏。
しかし、学費と生活費を稼ぐため入学後もアルバイトを続けます。
大学時代にも
- ガードマン
- 新聞社
- 食堂のカレーの盛りつけ係
など、さまざまな職場で働いたようです。
菅義偉氏は学生時代のアルバイトの思い出を次のように語っています。
――スポーツ新聞社でアルバイト経験があるとのこと。思い出は。
「大学の空手部の先輩から“物凄く良いアルバイトがある”と紹介された。(取材現場から)送られて来る記事(が書かれた紙)を(社内の編集)記者に走って渡す仕事。他のバイトより給料が良かった」引用:スポニチ
おそらく、二世議員と呼ばれる政治家たちはこのような生活を送ったことはないでしょう。
この上京〜学生時代の生活が、菅義偉氏が叩き上げの苦労人といわれる所以となっています。
大学は夜間学部?
菅義偉氏の出身大学は法政大学法学部です。
法政大学法学部には法律学科と政治学科がありますが、菅義偉氏がどちらに在籍していたかは分かりませんでした。
仮にこの頃から既に政治に興味があったのだとしたら、政治学科を選んだ可能性も高いですね。
さらに菅義偉氏には、法政大学第二学部(夜間学部)に通っていたという噂があります。
しかし、これは間違いのようです。
大学時代を振り返る、菅義偉氏のインタビューをみてみましょう。
「学生運動全盛期で、授業のロックアウトが非常に多かった。学費を払うのがもったいないと思ったね、法律の勉強はほとんどできなかったし(笑)」 昼間部に入学した菅は、貯金とアルバイトで、学費と生活費を捻出していた。ロックアウトばかりで授業がないとはいえ、大学とアルバイトを両立するのは困難だった。「夜間部に転部したい」と学生課に相談に行った菅に、大学職員は「もったいない。あとで後悔するから、がんばりなさい」と慰留したという。
引用:Y!ニュース
「昼間部に入学したが、夜間学部に転入しようと思っていた」というのが正しい情報でしたね。
いずれにしても学費や生活費を稼ぎながら大学を4年で卒業とは、肉体的にも精神的にも非常に苦労が多かったことと思います。
菅義偉ってどんな人まとめ?
以上が「菅義偉ってどんな人?夜間大学卒業の生い立ちで苦労人だった!」でした。
過去について調べると、
- 大学の入学金をアルバイトしながら2年間かけ貯める
- アルバイトで学費と生活費を稼ぎながら、大学を4年きっちりで卒業
- 選挙の基盤がないまま政治の世界へ乗り込む
など、まさに「苦労人」であるということが分かりました。
叩き上げでここまで上り詰めた苦労人・菅義偉氏が、何か新しい風を吹かせてくれるのが楽しみですね。