日本人初のNBAプレーヤーとして有名な田臥勇太選手。
華々しいNBA時代の年俸は果たしていくらだったのでしょうか?
NBAを解雇された驚きの理由と併せて調べてみました。
田臥勇太プロフィール
名前:田臥勇太(たぶせ ゆうた)
生年月日:1980年10月5日(38歳 ※2019年8月時点)
出身:神奈川県横浜市
身長:173cm
体重:75kg
血液型:A型
ポジション:ポイントガード
所属:リンク栃木ブレックス
母親の影響で、8歳からバスケットを始めた田臥勇太選手。
バスケの名門である秋田県立能代工業高校時代には、3年連続で高校総体・国体・全国高校選抜を制し、史上初の9冠達成という偉業を果たしています。
また、全国高校選抜では3年連続ベスト5に選出され、現役高校生では史上2人目の全日本候補選手に選ばれているんです。
ナイキ・フープサミット(全米ジュニア選抜と世界ジュニア選抜)には、日本人として初出場しました。
高校卒業後はハワイのブリガムヤング大学に留学し、「日本のジョーダン」と呼ばれていましたが、3年半で中退しています。
2002年日本のスーパーリーグで、トヨタ自動車・アルバルクに入団した田臥勇太選手は、レギュラーシーズン21試合・プレーオフ4試合すべてに出場し、チームの準優勝に大きく貢献。
新人賞を受賞し、オールスターにもファン投票1位で選出されています。
2004年フェニックス・サンズと契約し、日本人初のNBAプレーヤーになりました。
田臥勇太のNBA時代の年俸はいくら?
2003年以降、NBAに挑戦してきた田臥勇太選手は、数々のチームを渡り歩いてきています。
2003-2004 | ロングビーチ・ジャム | ABA(アメリカ独立プロリーグ) |
2004 | フェニックス・サンズ | NBA |
2005-2006 | アルバカーキ・サンダーバード | DL |
2006-2007 | ベーカーズフィールド・ジャム | DL |
2007-2008 | アナハイム・アーセナル | DL |
NBAの平均年俸は約7億円だそうですが、下部リーグでは平均年収200~300万円だそうです。
かなり実力社会といえるNBAですが、田臥勇太さんの年俸はいくらだったのでしょうか?
田臥勇太選手がフェニックス・サンズでプレーしていたのは3ヶ月間で、プレー時間合計17分、7得点3アシストと、そこまで大きな活躍はしていなかったようです。
年俸は公表されていませんが、推定1000万円ほどだったのではないかと言われています。
ちなみに、現在の田臥勇太選手は日本の「リンク栃木ブレックス」で活躍しており、年収は日本のバスケット選手のなかで一番高いそうですよ。
その現在の年俸は、推定5000万円!
- 日本のBリーグの平均年俸:1310万
- 日本代表選手クラスの年俸:3010万円
なので、圧倒的に高額なのがわかりますね!!
田臥勇太のNBA解雇理由は怪我が原因って本当?
田臥勇太選手は、大学時代に椎間板ヘルニアで療養していた時期がありました。
NBAを解雇されたのは怪我の影響があったのでしょうか?
田臥勇太選手はアメリカ時代にはNBA 3チームと契約をしていました。
- 2003年 デンバー・ナゲッツ
- 2004年 フェニックス・サンズ
- 2005年 ロサンゼルス・クリッパーズ
デンバー・ナゲッツでは、プレシーズン戦3試合に出場しましたが、開幕ロースターには残れず解雇。
田臥勇太選手よりも身長が低い165cmの選手とポジション争いをした結果、負けてしまったようですね。
ロサンゼルス・クリッパーズでは、プレシーズン7試合に出場したものの、シーズン開幕直前に ”経験不足” を理由に解雇されています。
NBAのコートで4試合に出場したフェニックス・サンズでは、他の選手の復帰によって解雇となったそうです。
NBAは30チームしかないため競争が非常に激しく、「試合に出た翌日に解雇」ということも当たり前の世界なんだとか。
田臥勇太NBAの年俸まとめ
NBAの年俸は平均7億円と、他のスポーツに比べて非常に高額でしたね!
田臥勇太選手のNBA時代の年俸は1000万円程度だったのではないかと言われていました。
しかし田臥勇太選手のような人でも、怪我がなくてもポジション争いに負けて解雇される程、NBAのレベルは相当高い事が分かりました。
現在、田臥勇太選手は日本のチームで頑張りながらも、NBAでプレーする夢を持ち続けているそうです。
今後もまだまだ田臥勇太選手には日本のバスケット界を引っ張る存在であってほしいですね!