2度の離婚歴がある由紀さおりさん。
現在、子供はいないようです。
この記事では、由紀さおりさんに子供がいない理由についてまとめています。
由紀さおりのプロフィール

名前:由紀さおり(ゆきさおり)
本名:安田章子(やすだあきこ)
生年月日:1946年11月13日
身長:156cm
最終学歴:洗足学園短期大学英文科卒業
所属事務所:安田音楽事務所
活動期間:1965年〜
歌手として活躍している由紀さおりさん。
- 夜明けのスキャット(1969年)
- 手紙(1970年)
- ルーム・ライト(1973年)

などリリースされています。
少女時代から、姉の安田祥子さんと本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍しています。
1965年、「ヒッチハイク娘」として歌謡曲の歌手デビューを果たしました。
なかなかヒットに恵まれませんでしたが、1969年東芝音楽工業で「由紀さおり」としてのデビュー作「夜明けのキャッスル」が、150万枚のミニオンセラーとなります。
同年には、念願だった「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たし、その後1978年まで10年連続出場となります。
1970年には「手紙」も6週連続1位、1970年年間6位と大ヒットし、第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞するようになしました。
その後も、「生きがい」「故郷」「ルーム・ライト」「ふらりふられて」などをリリースして、由紀さおりさんの歌声は「酔い覚ましの清涼剤」と言われるようになったんだとか。
歌手活動以外にも、タレント性を見込まれ、バラエティー番組でも人気者になります。
「8時だョ!全員集合」では、いかりや長介さんの相方として、準レギュラーに近い立場で活躍するようになりました。
1980年代には、女優としても活躍し始め、「家族ゲーム」で第7回日本アカデミー賞で、優秀助演女優賞を受賞します。
そんな由紀さおりさんは、1回の結婚、離婚歴があり、1回の事実婚歴があります。
由紀さおりの結婚相手は大森昭男と柴冨哲也!

由紀さおりさんには1回の結婚、離婚歴、事実婚歴も1回ありましたので、少しまとめてみました。
1人目の結婚相手は音楽ディレクターの大森昭男

名前:大森昭男(おおもりあきお)
生年月日:1936年〜2018年3月
大森昭男さんは、日本のCM音楽プロデューサーでした。
1960年、三木鶏郎さん設立の作家集団「冗談工房」に所属します。
1964年には、桜井順さんと「ブレーンJACK」を設立し、資生堂のCM制作するなど活躍の場を広げていきました。
1972年、「ON・アソシエイツ音楽出版」を設立し、数々のCM作品を手がけるようになります。
2013年頃から闘病生活をしていましたが、2018年に亡くなりました。
由紀さおりさんと大森昭男さんが結婚したのは、1969年で当時由紀さおりさんは20歳、大森昭男さんは32歳でした。
馴れ初めは仕事現場で、由紀さおりさんが洗足学園第一高等学校を卒業する頃には、プロポーズされていたんだとか。
お2人の間に子供はいませんでした。
順調だと思われていた結婚生活ですが、1989年に離婚しています。
2人目は事実婚で相手は柴冨哲也

名前:柴冨哲也(しばとみてつや)
柴冨哲也さんは一般人なので詳しいプロフィールは分かりませんでしたが、インターネット会社「ジェネシスピュアジャパン」の代表取締役を務めています。
1992年頃、アメリカ在住の柴冨哲也さんと知り合い交際スタート。
日本での活動を全て辞めて、アメリカに行くことも検討していた由紀さおりさんですが、母親に反対されて、アメリカ行きを断念しました。
その後の2000年、お2人は事実婚の関係になります。
ですが、日本とアメリカでの遠距離で距離が縮まらず、2006年に破局してしまいました。
お2人の間にも子供はいませんでした。
由紀さおりとに子供がいない理由は子宮の全摘出!

由紀さおりさんと、大森昭男さんとの間には、子供がいません。
結婚してから由紀さおりさんはブレイクしたため、夫婦で過ごす時間も少なかったと言われているので、子供を持つタイミングではなかったのでしょうね。
由紀さおりさんと、柴冨哲也さんとの間にも子供はいません。
実は由紀さおりさんは柴冨哲也さんと出会う前の、1983年の34歳の時に、子宮筋腫と子宮内膜症を患い、子宮の全摘出手術をしていました。
ホルモン治療の影響で声が変わってしまう可能性や、自分の声を愛してくれた母親を悲しませたくないと思い、病気が発見された4年後の41歳の時に、摘出手術の選択をしたんだとか。
由紀さおりの子供のまとめ
由紀さおりの、子供について分かったことはこちらです。
- 子供はいない
- 結婚歴、離婚歴は1回
- 事実婚歴は1回
これからも元気に活躍していってほしいですね。